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春もたけなわ、四月の半ば。まだちょっと環境へ不慣れな新入生たちが、周囲への様子見の構えになっているせいで、一応は出席率もいい頃合いの賊徒学園高等部の、選りにも選って正門前という、色んな意味合いから逃れようのない大舞台。しかも昼休みが終わりかけという、随分と絶妙な時間帯に。地響きを思わせるようなイグゾーストノイズがアイドリング状態でも唸り続けている、超有名な外国産大型バイクにまたがったままだなんて、いかにも不敵な態度で我らが総長さんを待ち受けていた人物が約1名。大型バイクというのは車高もあるし車体の厚みも結構なものなので、それに跨がった上で地に足をついて支えるというのは、実は日本人には体型上の問題から至難の技になることが多くって。だってのに この御仁、余裕の開脚状態でその両足がしっかり地面へついてるその上、少々身をかがめてハンドルに腕を置き、車体へ上背を伏せてるほどもの貫禄を見せており。黒豹のようなその勇姿、そのままオートバイ雑誌のグラビアに載ってもよさそうなほど。それほどまでに伸びやかでバランスのいい肢体をした男性で、しかもしかも。風よけのためか革のジャンパーを羽織っているのでちょっと見には判りにくいが、胸板や二の腕、長い脚などなどにはしたたかに絞り上げられた筋肉がまといつき、腹筋や腰は角材で殴りつけても角材の方が負けてへし折れようほどもの頑健な筋骨に固められており。そうまで完成された武闘系の肉体を誇りながら、だってのを一切匂わせぬようにか。太めの縄を何本も垂らしたような、俗に言う“ドレッドヘア”を肩や背中まで降ろした洒落者でもある、いい年齢をした大人の男性。そんな彼こそ誰あろう、
「あれって、ウチのヘッドと例の坊主を取り合ってる歯医者だろ?」
………そんな、どっちへも身も蓋もない言いようで言い当てたとは、さてはあんたアメフト部員だな?(笑) しごく局地的な知名度を誇る御仁であったゆえ、そんな事情を知らないのだろう真新しい改造制服姿の何人か、怖い者知らずにも睨ねめつけて通り過ぎたのを空気みたいにやり過ごし、鼻歌混じりに誰ぞかを待ってる風情だったお兄さんだが、
「おい兄さんよォ。
ウチにどういう因縁あって、そんな洒落たバイクで乗りつけてやがんでぇ。」
おおお、ついに出たか世間知らず。今時の突っ張ってるお兄さんたちが全員そうだとは言わないが、大概の面々は、生え変わった歯がうずく猛禽の若いのと同様に、何かに咬みつきたくってしょうがない状態でいる。誰と誰には勝てるのか、自分の位置を知りたくて。どの先輩には逆らっちゃあいけないのか、勢力図とやらが知りたくて。出来ればそんな壁になぞ、1日でも遅くにぶつかりたいくせして。負け知らずな奇跡がいつまでも続くと信じてもいる、そんな向こう見ずらしき大柄な一年が。自分なりに勢いづいてもいたのだろう、部外者という力量のほどが最も断じにくい対象へ、無謀にもちょっかいを出して見せたというところ。何せ正門前だから。下校する生徒たちというギャラリーたちのド真ん中。これで負ければ赤っ恥は免れられないとあって、
――― 敵わねぇと思うんなら尻尾巻いて逃げな、という
過ぎるほどに判りやすい挑発なその上、ある意味とってもデンジャラスな罠でもあったりし。ピッカピカのイタリア製750ccデューカディーなんてものを、それでなくとも血の気が多い年代ばかりな上に、男子はバイクマニアが大半というこのガッコの真正面へ乗りつけるだなんて、そんな無謀を仕掛けてくるとはいい度胸だ、目に物見せてやろうぞという、怖い者知らずが出ない筈はなく。
「結構な新車、わざわざ見せびらかしに来たんかい?」
せいぜい気勢を張ってのことだろう。両手をズボンのポケットに入れたまま、その縁にリングピアスを飾った短い鼻筋を気持ちだけ反らしての、やや踏ん反り返っての声かけだったが、
「………。」
相手は、ちらっと…サングラスの下から視線のみにて一瞥しただけ。愛機のハンドルについた肘を緩く抱え込んでの、余裕の前傾姿勢を揺らしもしないで、退屈そうな態度を微塵も動かさなかったので、
「…っ、舐めてんか、ごらぁっ!」
着火速度の早さがそのまま、剥げやすいメッキの度合いを示してもいた、結局は小者だったデカブツが。威嚇的な怒号を張り上げ、ガタイが大きいのをいいことに、上から覆いかぶさるようになって身を寄せて来たのへ、
――― これぞ正に“電光石火”という反射にて。
当人は続けざまに腕の方も伸ばすつもりでいたらしい。有無をも言わさず革ジャンの胸倉掴んで吊り上げて、衆目の中、自慢のバイクから引き摺り下ろしたるという魂胆だったらしいのが。出そうとした手が…出て来ない。顔だけ出たままな妙な実情に気づいて、それへと“あ"?”と気勢を削がれ、不審げに自身の身体を見回そうとしかけたのとほぼ同時、
「…あ、うわあぁぁああぁぁっっ!」
そこに何かいるのかと思うほど真っ直ぐに、天に向かって顔を上げ。それから…凄まじいまでの大絶叫を上げた彼だったのへ。周囲に溜まりかかってた野次馬たちは、訳が分からずキョトンとするばかりだったけれど、
“………素人相手にそこまでやるか、おい。”
駆けつけ途中という遠目ながらも、こちらは彼が何をやったか見えてた葉柱が、苦々しげに眉をしかめて絶句する。依然として最初の姿勢を崩さぬまま…に見えているバイクの男だが、ほんの一瞬だけその身を浮かせ、それは素早い所作一閃。デカブツ男の延ばされかけてた腕の内側へ、左右順番に片手を延ばしたのがしっかと見えており。恐らくは指先での鋭い突きだったに違いなく、それで経絡とかいう節々に関わる筋肉上のポイントを襲い、腕の自由が利かない身にした。あんなちゃらけた男でも合気道だか拳法だかの、天才的な達人だと聞いているし、葉柱本人も腕に覚えがあればこそ、見極められた攻勢だったが。意気がっていても実はさして実戦の覚えがない身では、何が起こったのかさえ判らぬままの、ガタイばかりだった一年生くんなのだろて。痛がってのたうつ様子に人垣が引いたところへと滑り込めば、相手が“やっと来たか”と言いたげに薄く笑って見せたから、
「相変わらず大人げない歯医者だな。」
「ご挨拶だな、チーマーのヘッド。」
立派に大人げない応酬でのご挨拶をまずは交わしてから、
「生意気盛りの悪ふざけだ。許せんて言うなら俺が謝らせるから、こいつの腕、戻してやってくれんか。」
葉柱にも面識のない顔だったが、ここの生徒ではあるらしい。だとすれば、放ってもおけないし、何より、
「ま、このままじゃあ喧しいもんね。」
久しく体験のないことなのだろう激痛に、ぎゃあぎゃあ・あうおうと喚き続けてた彼だったので。苦笑混じりに肩をすくめた歯医者さん、ちょうど足元近くへ這いつくばるよにうずくまってた小生意気な一年生くんの肩辺りを、履いてた革靴の先にて容赦なく蹴ったところ、
「な…っ。」
何しやがると息巻いた井上の二の腕を葉柱が掴んだのと、
「あ…れ?」
みっともないまでに大騒ぎしていた鼻ピアスの大男が、盛んだった火の手が一気に鎮火したかの如く、唐突に静まり返ったのがほぼ同時。乱暴な無体に見えたが、どうやらそこが筋を違えたのを元へと戻す“ツボ”だったらしく、
「こっちの上級生さんに感謝しな。お前には何の縁もないってのに、一応頭下げてくれたんだからな。」
よくよく見やれば精悍であるのみならず、端正な部類にも入ろう面差しの、きれいな形をした顎を堂に入った所作にてしゃくり上げ。傍らまで来ていた葉柱を差して見せた阿含の声が…届いていたかも判らぬほどの素早さにて。ひぇえ〜とも きょえ〜ともつかない奇声を上げつつ、あっと言う間に退却してった、いかにも頭と行儀の悪い後輩を見送ってから、さて。
「ここじゃあ何だから、部室まで来てくれねぇかな。」
それか、も少し穏便に話が出来るよう、塀ん中まで入ってくれるとか…という含みを込めて。とりあえず こっから移動しておくれと、とんでもない凄腕の刺客へ持ちかけた総長さんであり。ここだけを見た者には、両者相譲らない強豪同士の代表、龍虎の対峙の図なんかが背景へバンッと浮かんだかもしれない。差し詰め、龍が阿含さんで、虎は総長さんの方かしら。周囲の面々の間へも“おおっ”というどよめきが広がって。あんな腕っ節見せつけた兄ちゃんを相手に、ウチの総長、凄げぇタメグチ利いてね? いやそれよか、俺は常々、何で虎と龍なのかが疑問でよ。絶対的に強い生き物の双璧だからじゃね? だってよ、虎と龍だぜ? 虎は実在するけど龍は想像上の生き物だろよ。空飛ぶし、嵐とか呼ぶっていう神通力もあるって言うし、ありゃあもう立派に怪獣じゃん。あれじゃね、龍ってのはほれ、鯉のぼりの天へ昇ってからの姿だって言うじゃんか。おお、お前博識〜。だからよ、虎っつったら鯉の仲間をさんざ食ったろう猫族の親玉じゃんよ。だから、その恨み晴らさでおくべきかっていう対決の図なんじゃね? おおお、そうかも知んね〜っ。
――― すいません。
ついついギャラリーの会話の方を追ってしまいましたです。(爆)
彼らの相関に於ける背景や事情というもの、全く知らない周囲の勝手な詮索や思惑はさておいて。経緯としてはこっちの身内から仕掛けた言い掛かり。性質タチの悪い“おいた”のようなものだったのに、許してやってという仲裁を聞いてくれたその上、自分の顔を立ててもくれた阿含であることをちゃんと把握した上で。ホントだったらもっと喧嘩腰にかまえるところを、これでも結構譲歩した態度であたってる葉柱なのだと。判っているから…肩から力を抜き、取り付く島なんぞ与えるかいという頑迷そうな威嚇の姿勢をとってたの、やっとのことで解いてくれた洒落もの歯医者さん。いやいや、出来る男同士の交わす、言葉の要らない読み合いってやつは奥が深い。おいおい
「これを。」
身を起こしがてらに革ジャンの懐ろへ、大振りの手を突っ込んだ歯医者さんであり。武道家でありながら、繊細絶妙な技のいる歯科医師をもこなしている器用さが生み出したそれなのか。機能美に満たされし無駄のない所作が、舞いのように際立っており。ピッと眼前へ立てられたカードには、何行かのメッセージが箇条書きにされていて、
「これは俺よかあんたの方が適役だと思うんでな。」
あんたへは義理はないがヨウイチのためだ、譲ってやるよなんて言いようをし。あまりに突拍子もないことへキョトンとしながら受け取った葉柱へ。カード自体に何かしら大きな特典があったのを後ろ髪引かれつつも手放したみたいな、そんな微妙な一瞥をくれると、それを最後に愛車のクラッチを入れ直す。
「そんじゃ任せた。大急ぎで向かいな。」
もう既に遅刻だから、早く行かねぇとヨウイチに叱られっぞと。やっぱり勝手なこと言い置いて。大きなデューカディーをほぼ腕の力だけで方向転換させると、じゃあなという会釈を残して去ってゆく鮮やかさよ。
「…何だったんだよ、変な奴。」
つまりはそういう用向きのために、こんな挑発的な…きっと騒動が起こるだろう訪問を仕掛けて下さった彼だったということか。
「まあ、あたしらはともかく、ルイとは奇妙な因縁がある人だからさ。毎度っなんてお軽く来る訳にもいかなかったんじゃない?」
それにしたって、こんな程度の挑発、あの人にかかれば おふざけ半分ってノリだったみたいだけどと。男の腕っ節とか器に関しては目の利くメグさんが、いつの間にやら追いついており。見世物は終しまいだよと野次馬たちをよく通るお声で追いやってから、
「で? なんて書いてあんの?」
「うん…。」
名刺サイズのカードには、なかなかの達筆にて、都合 数行の文言が連ねてあって。
「…何だこりゃ。」
「宝探しの暗号みたいっすね。」
「う〜ん。」
◇
さすがは世界に誇るドイツ高級車の代名詞とまでされているベンツで、乗り心地の安定感は絶品であり。意志の疎通上 生じていた齟齬から、ちょいと棘が立ちかけていた車内の空気も、それだけで何%かは払拭されて。残りを拭い去ったのは…。
「………。」
最初にぴしゃりと“何にも言うな訊くな”なんて言われた手前、何か訊いたところで“同じことを言わせたいか”なんて言われるのがオチだろなと思った聞き分けのよさと、だがだがやっぱり訊きたいことは山ほどあるのに…というジレンマと。すぐお隣りに腰掛けて、何かしら問いたげな気持ちの矢印の先っぽだけ、無言のまま坊やへと向けてたお兄さんのお膝の上へ。ちょこりと置かれた小さな手があって。
「…何だよ。」
何にも言うななんだろよと、少々尖った表情なままで短くこぼせば、
「あのな…阿含からどこまで聞いた?」
伺うような おもねるような、そんな様子ではなく、あくまでも確認というしゃんとした態度のままなのがまた。この子にしてみりゃいつものことな筈だってのに、妙にムッと来た葉柱で。
「これだけだ。」
ポケットから摘まみ出したのは、ややこしい来訪をした彼から受け取ったばかりのあのカード。それに書かれてあったのは、以下の3つで。
・出来るだけ押し出しのいい車を仕立てて、
小学校の通用門で待ってるヨウイチを拾い、下記の場所まで送ってやること。
・貴公は制服着用の上、
ヨウイチと一緒に降り立って、現地にいる担当者の指示を受けること。
・その際、何物であるかを訊かれるので、
妖一の保護者代理だとして“名前”まできっちり名乗ること。
おまけが“出来る範囲で構わないから”とついてたお茶目は、だが、葉柱のお兄さんの年代では意味が判らんぞと思っていたらば、
“さだまさしは、おふくろが全曲集を持ってるぞ。”
あはは、さようで…。(苦笑) もう既に遅刻だと言ってた置き土産の一言を素早く思い出し、メグさんが持って来ていた自分の携帯で 取りも直さず実家へ電話し、手隙だった運転手の蛇井さんに頼んでベンツを出してもらって…今に至っているという訳だが、
「で? これって何がどういうことなんだ?」
阿含から知らされているのは半分だけと言ったのは、つまりはそういうこと。設計図のない部品だけ、しかも補充部品のみでは、何を作ろうとしているやらって根幹がさっぱり判らない。
「どういうも こういうも…。」
そこに書かれていたことは、2行目以外は自分の望みではなかったので。阿含の思うところなんて判らないって言い立てて、話が通じてない振りをして。何にも知らないってそっぽを向くことも可能だったが、それはやっぱり出来なくて。このお兄さんからの信頼みたいなの、自分で握り潰すことになるって判ると、あのね? その端から…どうしてかな。合理的な判断の前に敢然と立ち塞がるの。そんなの嫌だっていう、子供じみた感情が。だからね、あのね?
「あんな…?」
出来るだけ手際よく、ちゃんと話そうと思ったんだけど。
「…坊っちゃま。」
運転席から蛇井さんのお声がして、ああもう目的地へ着いちゃったみたい。タイムアップですね、はい。
「〜〜〜〜〜。」
あ〜あ、せっかく意を決したのにね。誰が悪いのでもなく、まま強いて言うなら、何かしら画策していたらしい誰かさんが悪いのだけれど。
“正直でばっかじゃあ、守れないものとか成り立たねぇもんだってあるんだよっ!”
ぷんぷくぷーと胸の裡ウチにて深く静かに、誰へというでなく怒ってる坊やをよそに、
「何だ、こりゃ。」
車窓から辺りを眺めた葉柱が、怪訝そうな声を出したが、そっちには心あたりが重々ある小悪魔坊や。
「ともかく。事情は後でちゃんと話す。」
着いてしまったんじゃあ仕方がない。計画を頓挫させる訳には行かないし、後顧の憂い…は大仰だったが、やっちまったことへのフィニッシュはちゃんとちゃんとこの手で決めねば、それこそ“ただのお子様”だからね。
「ルイは此処で待ってて…って訳には行かないから。一応、ついて来てくれな。」
「へいへい。」
まだ納得した訳じゃあなかったが、何にか“困ってた”坊やだったからね。段取りが狂ったからか、それとも…まさか。
“何かしらの悪巧み、俺の前で披露することに罪悪感でも感じたか?”
いや〜、それはなかろうよな。だってよ、俺だって立派なワルなんだしよ…なんて。大したワルでもないくせに、実は善良で一本気な不器用さんなだけなのにね。そんな自分が説教するってのも何だしよ…なんて。こちらさんもまた、誰へ向けてというでない苦笑を頬の隅っこに浮かべつつ。青いシートや黄色いテープがいやに目につく“現場”へと、怖じけることなく降り立っていったのだった。
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*肝心なドタバタ、事件自体へなかなか辿り着けてませんで。
回りくどいことばかり磨きがかかってくってのはどうかと…。 |